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三船敏郎の衝撃、映画との出会い。 [過去の出来事]

どうもこんばんわ。13日の金曜日の深夜、ひっそりと更新をおこなっております。13日の金曜日といえば、ジェイソンが〜ジェイソンが〜って子供のころは友だちとふざけあっていたのを思い出します。いや、べつに不吉な日だっていってもなにもおこらないんですがね。まぁ〜英語圏などにおいて、不吉な日とされている日ではあります。もちろん迷信ですが。由来などについてはwikipediaなどをご参照のほど。。では本題にはいります。今日お話したいtopicは、ずばり、「映画との出会い」です。これはどういうことかといいますと、生まれてはじめてみた映画は?とかいうものではありません。そんなものおぼえていません笑。もっとも古い記憶では、E.T.という映画を親につれられて映画館でみたのはなんとなくおぼえてはいるんですが、それがはじめてだったのかどうかは「??」という感じです。そうではなくて、ぼくが、映画を「映画」としてみるようになった最初の映画とは?という話です。は?なにいってんの?こいつ?とおもわれるいいかたをしてしまいましたが、つまり、いままでは、映画を、「お話中心」にみていたのです。いわゆるストーリーだけをおっかていたということです。それが、「映像中心」に映画をはじめてみることができた「映画との出会い」なわけです。そう!そんな話です。そしてぼくが、映画を「映画」として最初に見ることができた作品は、こんな映画でした。

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ぼくが、大学4年になりたてのころ、うまれてはじめて見た黒澤明監督の作品。「酔いどれ天使」であります。もちろん主演は三船敏郎、、、ではなくほんとは志村喬(たかし)さんのような気がするのですが、つまりこの作品のタイトルになっている「酔いどれ天使」とは、志村さん演じる貧乏医者のことをさしているとおもわれるので、そうなのですが、この作品において、三船敏郎は、観る者すべてにおいて、どんでもない衝撃をあたえてしまったのです。そして我々の記憶には、この映画は三船敏郎が主演であるという、だれもそうはいっていないのに、そうであるという常識をうちたててしまったのです!そしてあらゆるポスターなどは三船の写真がつかわれるということになっているわけであります。そんな作品、酔いどれ天使。。ぼくはほんとになんとなくこの作品をレンタルビデオ屋で借りて、下宿でみたのであります。みはじめた最初は、うわ〜やっぱ古い映画だな〜、シロクロだし笑。セリフもききとりにくい笑、みたいなかんじだったんです。でもですよ、ものの3分くらいで、ある役者が画面にでてくるのです!松永というチンピラ役の三船が、志村さん演じる真田という医者のところに、鉄砲でうけた傷を治療してもらいに、やってくるのです。診察室にはいってくる三船をみたとき、、「!!!!」
なんだこれは?!!と電流がはしったのです、僕の体に!凄い!このオーラはなんなんだ?こんな役者が日本にいたのか?と、ぼくはとんでもない衝撃をうけてしまったのです。お話などまったく頭にはいっていなかったのに、画面に釘づけですよ、もう。
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表情、動き、セリフのいいまわし、どれをとっても、圧倒的な存在感で、もう三船しか目にはいらなくなりました。おはなしは、あまり興味のないものだったのですが、三船の動き、表情をもっともっとみたくて、もうこの映画がおもしろくてたまらないものになりました。たとえば、ダンスホールで女と踊るシーンがあるのですが、こんな色気があるシーンをはじめてみました。

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みてください、この三船の表情!色気がハンパない!そして数々のシーンででてくる煙草を吸うシーン。
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どれもきまってますよね!黒澤明監督は、この作品ではじめて三船とタッグをくんだのであります。のちにたくさんの傑作をうみだすこととなる黒澤×三船の最初の作品がこの酔いどれ天使という映画であります。黒澤監督は三船に出会うまで、圧倒された俳優は一人もいなかったそうです。むしろ俳優を信じていなかった。自分の演出と、脚本でなんとか作品の質を保とうしていたわけであります。しかし、この三船敏郎にたいする黒澤の評価がすごいのです。以下、黒澤明監督著の自伝、蝦蟇(がま)の油より抜粋。
  
  〜三船は、それまでの日本映画界では、類のない才能であった。特に、表現力のスピードは抜群であった。わかりやすく言うと、普通の俳優が表現に十フィートかかるものを、三フィートで表現した。動きの素速さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。なんでも、ずげずげずばずば表現する、そのスピード感は、従来の日本の俳優には無いものであった。しかも、驚くほど、繊細な神経と感覚をもっていた。まるで、べたぼめだが、本当なのだから仕方がない。〜

俳優をまったく信用していない人間が、こうまでして絶賛をしてしまうのだから、この三船の登場が、どれほど凄かったかは、想像にかたくない。それは監督のみならず、観客のわれわれにも、すぐに伝わるものであった。この監督の蝦蟇の油にて書かれている三船の評価で、「驚くほど、繊細な神経と感覚」というくだりがありますが、それはぼくも、この酔いどれ天使をみて、三船という俳優の表現の幅の凄さに驚いた部分のひとつでもありました。

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人間が枯れてしまったときの表情とは、こんなにも美しいものなのでしょうか?ぼくはこの場面の三船の芝居をみて、いままで自分にあったあらゆる感性、価値観などが、ガラガラと音をたてて崩れていきました。以前まであった男らしく強い表情から一転して、ここまで落ちてしまう一人の人間のあらゆる運命が、こんなにも美しく表現されてしまうなんて。。ぼくはとてもショックでした。そしてこのような芝居にも感銘をうけました。背中で芝居をする、といったことをよく耳にしますが、実際にそのような芝居をみたことがなかったので、一体どのようなものなのか、わかりませんでした。しかし三船敏郎がおしえてくれました。

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つまり芝居とは、その人の人生がどのようなものであったか?がそのままでてしまうものなのでしょう。人生で敗北したことのない人の背中は、さぞ輝いた背中なのでしょう。しかし、芝居において、画面に背中をむけるとは、つまり「敗北」を表現しなければいけないということなのです。敗北を人生で味あうというのは、ある意味勇気のいることです。ですからおおくのひとは、勝ちでもない、負けでもない、どちらでもない人生を選びたがるものなのです。三船の人生において「敗北」があったかどうか?ということをきくのは、愚問のような気がします。なぜならこの「背中」がすべてを語ってくれているからです。
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以上が、ぼくにおける三船敏郎の衝撃にまつわるお話でした。余談ですが、かの今村昌平監督も、この作品をみて、衝撃をうけ、映画監督を志したそうです。そんなすばらしい作品には、素敵なエピソードなどは尽きないものなのです。


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